2019年


ーーーー2/5−−−− 落第の夢


 年に数回、同じようなストーリーで見る嫌な夢がある。恥ずかしい話だが、落第する夢である。大学を卒業して40年以上経つのに、いまだにその夢でおびえる。  

 進級するための単位が足りない。足りない理由は、受講すべき講座、しかも必須科目の講座を、さぼって出席していないから。もう何回も欠席しているので、いまさら顔を出しても単位を取れる見込みは無い。教授に泣き付いても、逆に怒られそうで怖い。これを落とせば落第確実。そういう科目が複数ある。絶体絶命のピンチ。

 落第したことは無い。だからこれは空想に基づく夢である。しかし、経験したことは無いにもかかわらず、その恐怖感はリアルである。

 最後のオチは、これまた決まって「ちょっと待てよ、オレはもう卒業してるんだ」。それに気が付いて、ホッとして目が覚める。

 何故このような夢を、繰り返し何十年にも渡って見るのか。その理由を考えるに、一つは大学時代がいまだに自分にとって大きなプレッシャーになっているのだと思う。講義の八割方はチンプンカンプン。かと言って、一日に何科目もあるので、予習などとうてい追いつかない。予習をして行かないと怒られる必修の語学(英語、独語)だけで手一杯。毎日が騙しだましのような学生生活。失望と不本意に埋め尽くされたような4年間だった。

 息子の学生時代も、大学の講義は似たようなもので、苛立ちを覚えたと聞かされたことがある。同じような事が、世代を超えて続いているのである。その息子も卒業して10年以上経つが、落第の夢を見ているかどうかは、聞いてない。





ーーー2/12−−− 手の掛かる時計


 
以前から所有していたダイバーウォッチのバンドを交換し、普段使いに用いるようになったことは過去の記事に書いた。それから2年が経過したが、現在でもその時計を毎日使っている。

 当時迷ったオーバーホールは、結局やらなかった。まずかなりの料金がかかること、そして古いモデルなので、交換パーツが無く、傷付いたガラスを取り替えることもできないと分かったからである。 

 40年以上オーバーホールをしなかったことによるのだろうか、かなり遅れる。夏場は1〜2分程度、冬場は2〜4分ほど遅れる。冬場に遅れが大きいのは、内部の油の粘度が高くなり、歯車などの動きが悪くなるせいだと勝手に想像する。 

 ちなみに振り子時計は、冬は進む傾向にあり、逆に夏は遅れる。気温の差で振り子の長さが変わるからである。我が家にも振り子式の柱時計がある。振り子の下端には長さを調節するネジをが付いている。冬場は進みがちになるので、ネジを回して振り子を若干長くする。夏は遅れぎみになるので、振り子を短くする。腕時計は振り子を使ってないので、こういう現象は無いだろうが。 

 一日に4分遅れるとしても、誤差は0.3パーセント弱であるから、道具としては正確な方だと思う。しかし、放っておけばどんどん遅れが蓄積する。10日経てば40分の遅れとなる。それではさすがに具合が悪い。そこで毎朝時刻を合わせ直す。昔なら時報に合わせなければならなかっただろうが、今では電波時計があるので、時刻合わせは簡単正確である。 

 毎朝時計を合わせるなどというのは、忙しい現代人には面倒なことだと思われるかも知れないが、慣れればこれも悪くない。一日の始めの、一つの儀式のような趣がある。「おや、今日は遅れが小さいな」などと言いながらリューズを回す。アナログ式なので、針をピタリと合わせるのに結構神経を使う。その操作の出来具合で、その朝の体調の良し悪しを占ったりする。

 毎朝合わせるのだから、遅れの大小はさしたる問題ではない。しかし、やはり遅れが小さい方が嬉しい気がして、近頃は夜寝るときも時計を着けたまま布団に入る。多少でも暖かい方が、遅れないだろうという考えである。 

 また自動巻きなので、外して置くとそのうち止まってしまう。だから日中も、特に必要が無くとも着用する。何十年も放ったらかしだったのに、遅れを気にして合わせるようになってからは、止まるのを避けたいという気になるのである。かくして、昼も夜も、一日中時計を着けたまま過ごす。完全防水だから(ダイバーウォッチだから)、風呂に入るときに外し忘れても大丈夫。  

 これまで使っていた腕時計は、電池式あるいはソーラー時計だったので、遅れも、止まることも心配する必要は無かった。放っておいても問題無いので、わざと着用する必要も無い。出番は時間を気にする外出の際だけだった。それに比べると、このダイバーウオッチはとても身近な存在になっている。いろいろ気を使わなければならない代物だが、手を掛ける必要があればこそ、愛着が増すようにも思われる。便利でない、スマートでないからといって、役に立たない、不要だということもない。




ーーー2/19−−− 練習のセオリー


 長女は中学生の頃、吹奏楽部に入っていた。その夏休みの練習を、聴きに行ったことがある。こっそり、練習場となっていた体育館のドアの脇にたたずんで、耳を傾けた。姿を見せると、練習に水を差すことになると思ったからである。中学生の演奏とはいえ、生の管楽器の音は迫力があり、聴いてて楽しかった。

 比較的若い男性の教師が、熱心に指導をしていた。その教え方には定評があったようである。先生にリードされながら、生徒たちが音楽を作り上げていく様子は、一つの創造のプロセスを感じさせて、思わず聴き入った。

 あるパートの楽器が、曲の途中でつまづいた。音符の早い進行に、指が回らなかったのである。すると先生はこう言った「その部分だけ200回練習しなさい。そうすれば吹けるようになる」

 できない部分を繰り返し何度も練習させるというのは、、楽器の演奏を指導する際のセオリーなのだろう。それにしても、200回という数が興味深い。回数が少なくては、効果が無い。しかし多すぎてはやる気を無くすし、集中も続かない。200回くらいがちょうど良いということなのだろうか。

 回数を多く繰り返せば、出来なかったことでも出来るようになる。楽器に限らず、何ごとにも共通する、スキルを体得するための方法だと言える。しかし、その理屈は分かっていても、なかなか実行できないのが初心者の性である。無造作に言い切った「200回やれ」という言葉に、先生の指導力が感じられた。

 ところで、出来なかった事が出来るようになるプロセスというものは、実際に成果を得た経験によって理解されるものである。その経験が無く、「そんなこと本当に出来るのだろうか?」と疑ってかかっているようでは、先の見通しが立たない。先が見えないから、練習を繰り返すことに対する確信がない。不安があるので、練習に身が入らない。そんな状態だから、上達しない。これが、ありがちなパターンである。

 技術専門工で木工を学んでいたときのこと。鉋の刃を研ぐ実習があった。二週間くらい、そればかりやらされた。研いだものを指導教官に見せて、OKが出れば次のステップに進むことができる。しかしなかなかそのOKが出ない。教官は刃先がシャープになるように研げと言うが、どうしても丸くなってしまう。ついに辛抱できなくなったのか、ある脱サラ組の中年男性の生徒はこう言った「人の手だけでそんなことが出来るはずがない。機械や工具を使えば別だろうが」

 しかし、実際には出来るのである。個人差はあるが、手作業だけで刃先をシャープに研ぐのは、練習を重ねれば可能な事なのである。

 その男性は、自身の三十年以上に渡る人生の中で、訓練がもたらす成果というものを実感した経験が無かったのかも知れない。逆に、人生経験の中で仕入れた知識や論理に基づく判断が、マイナスの形でに出てしまったのだと思う。知識や論理も大切なものであるが、自分にとって未知なもの、未経験なものに関しても常に正しく通用するかと言えば、そうとも限らない。むしろ本当に正しい知見というのは、自分がいかに無知であるかを理解し、目の前の未知の事に対して謙虚に向き合うことであろう。

 物事を習得させるには、年齢が小さい時点から始めるのが良いとされるが、それは余計な事を考えず、指導された通りに取り組むということが、年齢を重ねるに連れて難しくなっていくことの裏返しの意味もあるだろうか。 




ーーー2/26−−− リンホフの社訓


 
熱心に登山をやっていた若かりしころ、山岳写真集などをよく見た。撮影データの中に「リンホフ」という単語がしばしば登場した。それはドイツのカメラの名前であった。

 屋外で使う大判の組み立て式カメラとしては、世界最高級の品物だそうである。何がどのように優れているのかは、素人の私には分からないが、著名な山岳写真家がこぞってこれを使っているところを見ると、やはり名機なのであろう。

 先日ちょっとしたことから、このメーカーのことをネットで調べて見た。すると興味深い記述が目に付いた。リンホフには、次のような社訓があるというのである

 「1本のクサリの中では、もっとも弱いひとつの輪が、クサリ全体の強さを示す」

 ひとつでも弱い輪があれば、他がいくら丈夫でも、鎖はその弱いところで切れてしまい、役に立たないという意味であろう。言い換えれば、強さばかりを追い求めるのではなく、弱いところを無くすような努力をしないと、全体の品質は保てないということか。

 この言葉に接して、会社員時代の山岳部の登山を思い出した。

 登山を立案したら、部員の中から参加者をつのる。その当時部員はなんと100名くらいいた。その中で、よく山に行くのは若手を中心に20名くらいだったか。その常連部員の中でも、体力や経験に大きな差があった。毎日ランニングなどのトレーニングをしている屈強な男性部員がいる一方、山は好きだが体力にはちょっと自信が無いという女性部員もいた。

 参加者の顔ぶれが出揃ったら、幹事がパーティー全体の力量を予想する。山行のレベルに見合った陣容になっているか、検討するのである。もし、力が弱いほうに偏っていると判断されたら、追加でベテランに声をかけて参加をうながす。テント山行の場合は特に、装備が重くなるので、屈強な部員は不可欠だった。

 登山の最中も、配慮を欠かさなかった。疲労で歩きが遅くなる部員が出たりすると、パーティー全体の進行が滞る。そのような場合は、疲れた部員の荷物を分けて軽くした。女性部員がバテたりすると、屈強な男性部員が、競い合うようにして荷を分担したものだった。

 20キロを越える荷を担ぐ者と、日帰り登山程度の荷で歩く者が、一つのパーティーに混在するのは不公平ではないか、などと不平を言う者はいなかった。強い者が弱い者を助けなければ、パーティー全体が上手く機能しないことを、全員が良く理解していたのである。その一方、体力が無い女性部員は、テント場での炊事作業などに活躍した。そういう方面では、屈強な男性部員の方が弱かった。

 弱い部分に目を向け、丁寧にフォローをしていく姿勢は、組織として健全だと思う。逆に、強い者だけが喜びを謳歌し、弱い者は置き去りにされるというような組織は、危ない。登山で言えば、疲れた人はゆっくり後から来れば良いなどと放置し、元気な者だけが先に行ってしまうようなパーティーは、失格である。

 さて、現代の世の中はどうであろうか。